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子供にとって母は世界のすべて

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母は自己肯定感の強い人だ。 自分のすることはすべてが正しい という強い信念を持っている。 そして 自分の意に沿わないこと(人)は 常に批判。 ◯◯はダメだ ◯◯はダメな人だ これをしてはダメ あんな人になってはダメ 母は自己防衛本能の強い人だ。 自分のミスを責められると 巧みな言い訳で責任を逃れてきた。 私はするつもりはなかった ◯◯のせいでこうなった 〇〇がしなかったからこうなった 私は悪くない 悪いのは◯◯だ。 子供にとって母親は絶対的存在。 虐待を受けていても幼子は母を慕う。 子供にとって母親は神だ。 子供にとって 母の言うことすることは宗教だ。 神の教えに従うように 私は小さい頃から母の愚痴を聞いて育った。 母の話の中では 祖父も祖母も叔父も叔母も全てが敵で 母をいじめる悪い人だった。 母の親兄弟もみな自分勝手で嫌な人ばかり。 母は私たちのために 我慢して生きていると言った。 家を支えて十二分に働いていた父でさえ 批判の的だった。 自分はとても苦労させられ 虐げられている と。 私は可哀想な辛い人生なのだ と。 母の苦労話を聞くたびに、 私は母を大切にしなければ 幸せにしてあげなければ  と思っていた。 ダンと結婚するまでは。 ダンという第三者の目からみた考察は それまでの私の価値観を覆すものだった。 ダンにいわれて冷静に判断すると 祖父も祖母もやみくもに悪い人ではなかった。 2人ともいい面がたくさんあった。 叔父も叔母も、それなりにいい人だった。 ただ、母の気に入らない事をしただけ。 それにいつまでも固執して 自分を被害者に仕立てる事で 私を味方に付けたのだ。 自分勝手なわるい人は母自身だった。 私は母に洗脳されていたのだ。 私の娘も今、子育て真っ最中だ。 子供は母親を通して世界を知る。 気をつけてほしい。 子供のまっさらなこころに 間違った先入観を植え付けないように。

高齢者をみつめて

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老母は最近まで、ひとりで バスに乗って徒歩で通院できていたのに 私が車で送迎するようになると 歩くのも覚束なくなった。 筋力も気力も衰え出したら早い。 はじめは病院前で降ろし 診察後に迎えに行っていたが 今は病院内まで付き添って 先生の話を聞き取り 母の耳元で説明を伝えて 会計まで。 荷物を持ったり服を着せてもらったり 世話をしてもらって母は満足げだ。 待合室でぼうっとしている。 こうやって衰えていくのだな。 坂道を転がり落ちるように 何もかもできなくなっていくのか。 暗澹たる思いが湧き上がる。 私が付き添うようになって 看護師たちはホッとしている様子。 病院はいそがしい。 耳が聞こえにくくて ヨボヨボとしか歩けない老人の世話は 付き添い人にまかせたい。しかし 老人の相手は厄介だが まめに通院してもらいたいようだ。 電気治療に通う老人には愛想がいい。 老母はあらたに膝痛がでた。 レントゲンを撮ると 膝頭の一部分が欠損していた。 骨粗鬆症があちこちに出現しはじめたのか。 医師はレントゲンを指し示しながら 根本的な治療は手術になる という。 高齢だから無理 という。 ヒアルロン注射をします と。 看護師が張り切って別の部屋に案内。 ベッドに寝かせると私は追い払われた。 注射が終わると手招きされて 老母を迎えに駆け寄る。 脇腹に加えて膝の注射に 2週間ごとに通うことになった。 ヒアルロン注射は気休め。 一時はよくても 繰り返すうちに効きにくくなるらしい。 ローション状の痛み止めで我慢するしかない。 逆流性食道炎もたびたび起こるようになり 家の中の移動も時間がかかるようになった。 だんだんと状態が悪くなっていく母・・・ ただ、見守るしかない。

アンガーマネジメント

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先日、出かけ先で母が転んだ。 椅子に座ろうとしたら 座面があちら向きになっていた  という・・・ 脇腹を強く打って痛がるので 湿布を貼って寝かせた。 翌朝、病院でレントゲンを撮ったら 肋骨にヒビが入っていた。 本人は折れたと言っているが・・・ 87歳になるとヒビも骨折と同等だ。 痛いことに間違いはない。 数日後、病院に技師が来て コルセットをあつらえた。 母がコルセットを作るのは2回目。 前回は体に合わず、数日で外した 高かったのにしょうもない商品だった せっかく作ったのに 役立たずで背中が曲がってしまった と ボロクソに言い放つ。 今回はちゃんとしてほしい と。 技師の方は苦笑いしていた。 いろいろ難癖をつけられても 丁寧な話し方で母の機嫌をとりながら コルセットを装着、微調整を繰り返す。 老人の扱いに慣れているなと思った。 アンガーマネジメントができている。 母は優しくされて上機嫌。 今回のはよくできている。 これはいい と満足して帰宅した。 のに・・・ 止められた入浴を敢行する。 骨がくっつくまでシャワーにしろと言われたのに。 シャワーでは温まれないと。そして やっぱりコルセットが合わない  胴回りがブカブカする と。 調整してもらっていた時に どうして言わなかったの と言うと せっかく作ってもらっているのに こちらからは言えない と。 説明されても聞こえんし(いや、ちゃんと聞いていた) 今回も下手くそやったな と言い放つ。 はーなーもー 母の要望どおりに コルセットを締め上げた。 技師からは キツくすればいいものではない と聞いていたが 母のしたいようにする。 そうしたら これでは何もできない かがむことができないから靴下も履けない 自由を奪われて情けない と。 文句ばかり。言いたい放題・・・ 何のためにコルセットをしているのか 安静にするためだろう。 ヒビが入った骨が修復するまでの辛抱だ。 そういうことも だんだんと納得できなくなってきている。 技師に言われたことを伝えてみたが それはオマエの意見だろう 勝手に押し付けんといて だと。 最後は口論になってしまった。 私は無理。 アンガーマネジメントができない。

腰痛ふたたび

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1ヶ月に1回の不燃ごみの日に合わせて ガレージ隅に積んだままになっていたガラクタを整理 規定のゴミ袋に分別した。  寒くて身体が冷えたのも一因。 そして、昨日から娘と孫が滞在している。 駆け寄る1歳半児と戯れたり 抱き上げたり・・・ ズキッときた。 ギックリ再発ではない、普通の腰痛。 しかしながら 最近腰が痛くなる回数と頻度が増えた。 私はまだ60代前半 こんな調子ではいけない 80代になったらヨボヨボの老婆では? そのとき私はどんな暮らしをしているだろう。 母の通院の送迎をしながら ぼんやりと車の中で考えていた。

冬季うつ

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以前から冬になると調子が悪かった。 空はどんよりとしているし寒いし 何事にもやる気がでなくなり朝起きるのがつらい。 だらだらと横になっていると不思議と寝ている。 夜中に目が醒めるのはそのせいかも。 晩秋から冬にかけて悲しくて憂鬱な気分になり 以前は楽しみだった活動に興味がわかず 疲労感が募り、無力感や罪悪感にかられる・・・ このような季節性の抑うつ気分は 「 冬季うつ (ウインター・ブルー)」です。 ( 豊橋ハートセンターのHP から引用しました) うつ病患者の1〜2割が冬季うつを経験するらしいが 冬季うつの場合は「過食」「過眠」「体重増加」が特徴で 食欲不振や不眠になることが多い一般のうつとは大きく違う。 毎日、老母の姿を目の当たりにするのも原因だと思う。 昨日、犬の散歩からもどると 作業小屋に電気がついていた。 声をかけたが返事がない。 のぞいたら誰もいない。 倒れているのかと畑を見に行った。 真っ暗闇に、人影。 一輪車に道具をたくさん乗せて よろよろと歩いていた。 こんなに真っ暗になるまでしなくても と言うと 歳をとってゆっくりとしかできないから 日が暮れてしまったんや と言う。 それからは押し問答。 母は昔から人の言うことは聞かない。 最後は じゃあ勝手にすれば  親を大切にする人は多い。 いつまでも長生きしてね と かいがいしく世話をしている。 こころが安定していて大人なのだと思う。 その人たちは うつ にはならないのだろう。

話がしたい

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ダンの納骨に際しての手配 管理物件のリフォームの打ち合わせ トラクターの修理引き取りの立ち会い 取り寄せた除草剤の引き取りと窓口での支払い そんな中、灯油が無くなった 土間の天井取り付けの蛍光灯が外れない・・・ 週明け早々にタスクが山積み あれもこれもそれも やらなければならない手続きも まだ残っている しんどいことはためてないで話して と母はいうが 相談したところで何の足しになるのか ためしにリフォームの見積もりを見せた。 すごい高くつくねんな  もうあんたらに譲ってから長いからわからんわ と。 だったら聞くな! トラクターの修理も、灯油の手配も 電気工事も何もかもぜんぶ私がやらねばならない。 お金がどんどん消えていく。 昨日も銀行から電話があった。 ダンが母の保証人になっていたという。 その手続きで訪問したいと。 保証人?そんなこと聞いてなかった。 むろん、母は何も知らない。 何でも知りたがる母。 知っても 大変やな の一言で片付ける母。 心配してやっている と上から目線で言い放ち ただ、話し相手が欲しい母。 抑えていた感情が爆発して 久しぶりに口論になった。 老人に八つ当たりしてもしかたがないのに。 そしてあとで猛烈な自己嫌悪。 大人の振る舞いができない情けない私。 今は人を気遣う余裕がない。 自分のことで精一杯。 自分のきもちをコントロールできない。 私はだめな人間。 一人で抱えないで誰かをたよればいい と ひとは簡単に言う。 心療内科は満杯。 新規予約は受け付けていなかった。 それだけ病んでいる人が多いのか。 グリーフケアを探してみた。 主体は市役所だ。 秘密厳守となってはいるが 仕事の関係で市役所には知り合いが多い。 誰かと会ったらいやだ。 ダンがいなくなったことを知られたくない。 悲しみをうちあけたいけれど 同情されたくはない。 この矛盾。 母のことで ダンとよく愚痴を言い合った。 お互いに思うことは同じだった。 言うだけ言って、最後は しかたないよね 我慢するしか と。 お互いの悩みを共有できていた。 世の中に 姑とそりが合わない人は多いだろう。 しかし実母を疎ましく思う娘はどうだろう。 なぜ母を愛せないんだろう。 考えても答えがでない。 我慢して今日も 母に優しくする。 大切にするふりをする。 ダンがいなくなって 母のことを話せなくなったのがつらい...

もやもやが止まらない

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母の老化に歯止めがかからない。 家の中でも足元がおぼつかなくなり ヨタヨタとしか歩けない。 寒くなって動きがさらに緩慢になった。 次に転倒したら いよいよ寝たきりになるかもしれない。 昨日は冷蔵庫から出そうとしたタッパーを落とし 中身が床に散乱した。 集めて元にもどすのに一苦労している。 見かねた私と息子が 床の汚れを拭き取っていると こっちも と離れた場所を指差す。 それはずっと以前に何かをこぼした痕跡だった。 もうがちがちに固まっている。 はーなーもー 息子は何かを噛み殺しながら 言われるままに床をこすっていた。 介護の現場を実感した。 こんなことは日常茶飯事だろう。 仕事と割り切っていても たとえ ありがとう の言葉があっても こころが疲弊するのではないか。 それが 面倒をみてもらって当たり前 的な態度だと 怒りのスイッチが入ったりしないのか。 高齢者に優しいひと には頭がさがる。 強靭な精神力を持っている。 私とは人間の出来が違うのだ。 私だって ほんとうは母を大事にしたい。 優しく接したい。 でもなぜできないんだろう。 自分自身に腹が立って もやもやが止まらない。

仕返しを考える情けない私

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数日前からもやもやしている。 今日は母が出かける日。 先週から母はうきうきしているような気がする。 毎日散歩に行っているのはこのためだったか。 私がへこんで辛い毎日を過ごしているのに 母はもう以前の日常を取り戻している。 元気を出さないと  という大義名分を振り翳して 気晴らし に出かけるのだ。 ダンが死んだ夜に 私に食べろと言った。 食べないと倒れると言って 母はもりもりご飯を食べていた。 こんな時に食べ物が喉をとおるなんて すごいなと思った。 母はまだ認知症の気配はないが もうすっかり ダンのことは忘れているようだ。 母は あんたも気晴らしに行ったらいい と言った。 その言葉尻が乾かぬうちに 私が仕事や犬の散歩で少し帰りが遅くなると 何かあったのかと心配でオロオロした と言う。 毎回。いつも何度でも。 もう耳障りでしかない。 母が心配しているのは 私のことではない。 自分を世話してくれる人がいなくなること。 ゆったりとした余生を味わえなくなること。 そんな母を支えて大事にして これからを生きていく だめだ。 世間が求めるようなできた娘にはなれない。 私の中の悪魔が頭をもたげてくる。 母が明日、家に帰ってきた時に 私が消えていたらどうだろう。 驚くだろうか。 自分だけ楽しんできたことを後悔するだろうか。 いや、そんなやわな人ではない。 むしろほっとするに違いない。 私の暗い顔を見なくて済むから。 暗い顔で おかえり と言われるより 留守の台所でひとり お茶を入れてお菓子を食べるだろう。 そのほうが気楽だといつも言っている。 あんたも気晴らしにいったらいい  と母は言っていた。 では、私もどこかに出かけよう。 犬連れで泊まれる宿を探した。 山の中のホテル。 ドッグランもあり温泉付き。 平日だと割安だった。しかし 冬は道路の凍結の恐れがあると書いてあり 断念・・・ ダンの車には冬タイヤがあった。 昨年は犬と一緒に出かけた。 犬も喜んでいたので 今年もまた行こうと言っていた・・・  

すごいなあと思うこと

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腰の調子が悪くて 今週はジムを休んでしまった 身体の具合が悪いと 気分がいっそう落ち込む  のブログを読んで 泣いて そこで紹介されていたラインを読んで 泣いて   気がついたら昼を過ぎていた そんな1週間だった 昨日、満中陰の花を片付けた すっかり枯れてしまっていた 仏壇の花を生け替えて 線香立ての灰を整えた そっと手をあわせる でもダンはここにはいない ここにいるのは阿弥陀如来様だ ダンははるか彼方の仏の世界に行ってしまった ストーブの灯油は いつもダンが入れていた すっかり無くなるまえに継ぎ足してくれていた 庭の手入れも 気がついたら落ち葉が掃かれて綺麗になっていた あれやこれや いろんなことが思い出されて やきりれない 我が家にはホワイトボードがある 家族の予定を書き込んでいた ほとんどダンの予定で詰まっていた 農作業がメインで村の仕事、役員の仕事 いろんなものを掛け持ちしていたから ダンはとても忙しかった 今は空白が目立つ そこに昨日、 母の予定が書き込まれていた 叔母(母の妹)と一泊旅行する と はーなーもー 逃げるんだ  と思った。 ダンがいなくなって 苦しくて寂しくて辛くてやりきれない まいにち暗い顔の そんな私に嫌気がさしたのだ 逃げるんだな この人は すごいなあ 私がいないほうがあんたも気が休まるやろ  あんたのためやで と言うに決まっている お出かけの時の決め台詞だ だから聞かない 叔母とおしゃべりして 気を休めたいのは母のほうだ 母の自己中には ダンも私も手を焼いていた ダンはいつも怒っていたが 面と向かって言ったことはなかった それをいいことに長い間 母はやりたいほうだいだった 私も母から逃げたい 逃げてしまおうか でも どこにも逃げ場がない

絶不調

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ぎっくり腰が治らない。 すぐには良くならないものだろうが 気分が落ちている時は気になってしまう。 母はいつも 腰が痛い と言っている。 お前も歳を取ったらわかる と。 耳が聞こえにくいのも 歩くのが困難になったことも 食べられるものが限られてきたことも 歳はとりたくない 不便だらけだ 歳を取ったら情けない と日に何度もこぼす。 母の身体の調子が悪いことには同情する。 大変だなとは思う。 私も87歳になったらこうなるのか。 自分のことばかり話して 文句ばかり言って 我を押し通す こんな老人になりたくない 私が一番恐れていること。 母と血が繋がっているから 私も同じような老人になるのではないか。 そんな恐怖が湧き起こるのだ。 ぎっくり腰になって きもちが一気に年老いてしまった。

ブラックフライデーで買ったもの 持病のこと

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若い頃にぎっくり腰をやってから時々腰痛に悩まされてきたが 今年の初夏に椎間板がひとつ潰れてしまった。 妹に言うと  加齢現象だからしかたないね と。 痛みがひどいので整形外科に行くと骨粗相症だといわれ 即、対策と治療が必要だと、毎月の注射と服薬が始まった。 同時にへバーデン結節も見つかって凹んでいた中、 6月末に回転性めまいになった。 母と同じメニエルを疑ったが、さいわい一時的なものだった。 ふらふらして立てない、天井に渦ができて気持ちが悪くなり 何度も吐いた。苦しかった。 その後、ダンの容態が悪くなり入院したため すべての治療は中断してしまっていた。 とりあえず、残っていた薬を飲んでしまおう。 時々立ちくらみがするのは鉄分が足りてないせいかもしれない。 これならイソフラボンも同時に摂取できると思った。 Amazonのブラックフライデーでポチりました。 ほんとうは ジャクリーのポータブル電源 が欲しかったが 今回は見送り・・・かな。 それがあれば用水路からポンプアップして夏場の水やりが楽になる。 もし田んぼの水が抜けてしまった時にも川から水が汲める。 充電をしながら草刈りができる・・・ いやいや、まずは身体のメンテナンスだろう。 今日は目が覚めてトイレに2回も行ってしまった。 これも加齢現象なのか。 母は持病が多く不具合をたくさん訴えてきた。 階段から落ちて入院後、どんどん足腰が弱くなり 耳が聞こえなくなってからは常に不機嫌だ。 あんたも歳をとったらわかるわ が決め台詞。 早くお迎えが来たらいいのに と言いながら 毎月通院を欠かさず、毎日何粒も薬を飲んでいる。 ちょっと待て。私も母と同じではないか。 延命治療を拒否しながらサプリメントを買うなんて。 バカみたい。 でも、ダンの死後の手続きが終わるまでは 倒れるわけには行かない。 そしてこの母を看取るまでは・・・ 死ねない苦しみ。  

考えないようにしていても不安がつきまとう

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葬儀以降、ほぼ引きこもり状態。 朝晩の犬の散歩以外、誰とも会わない生活を続けている。 会いたくない。 会ってダンのことを話しかけられて  元気を出して と言われるのが辛い。 元気なんてどうやって出すの。 心の押し入れは空っぽだ。 四十九日法要の日から泊まっている娘と孫が帰ったら 老母と2人っきりの生活にもどる。 それが憂鬱の種なのだ。 母は耳が遠くて会話にならない。 補聴器は耳が痛くなるから入れたくないという。 確か70万ほどしたはず。もったいないことだが 高額の補聴器も思うような効果がないらしい。 話す時は面と向かって大声を出さなければならない。 大声を出すと 偉そうに叱られているみたいで嫌だ という。 最近は往復書簡を使っている。 必要なことはノートに書く。 聞こえなかった 聞いていない のトラブルを回避できているが 本当は 本人は話しかけて欲しい。おしゃべりがしたいのだ。 わかっていてもしんどくてできない。 すでに足が弱っていたが ここ数ヶ月で一気にヨボヨボになった。 杖をついて歩く姿に将来の自分が重なる。 現在、母の買い物や病院の送迎は私がしているが 将来、87歳になった私には誰の助けもない。 車の運転ができなくなったら バスを使って病院に行かねばならない。 すでに本数が極端に減っていて、目的地に行くより 待ち時間の方が長い時がある。 自転車に乗れなくなったら徒歩で。 歩けなくなったら それこそ家の中にずっと引きこもり・・・ だれとも話さず 食べるものも無くなり 何ヶ月か経ってから ひからびた姿で発見されるのだ。 今朝も4時に目が覚めて そんなことばかり考えていた。 ↓ こころのささえにしています

若年生アルツハイマーか?

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満中陰に花を備えようとした時、 花切り鋏が見当たらなかった。 すかさず母が もう二週間前から無い。どこにやったんだ! と私を叱り飛ばした。 私はいつも使ったら元に戻している オマエが失くしたんだ と。 えええ。またいつもの言いがかりか。 カッとなって言い返した。 また泥棒がはいったんとちゃうかー 先日、母が探してしたメガネは 洗面台近くの階段で見つかった。 それと同様に、また母がどこかに置き忘れているに違いない。 母がちょい置きしそうなところを探したが見つからず。 ちょうどタロウが居合わせたからその場は 収まったけれど 2人暮らしだとおとなしい母は第3者がいると強気に出る。 自分の境遇(年寄りだということ)を猛烈にアピールする。 私への鬱憤が爆発するのだろう。 ダンは実母とは折り合いが悪く、長く冷戦状態が続いていた。 ここ数年は一言も話さない日もあった。 母はおしゃべり好きだからそれがとても不満で 話をしてくれないとボケる ボケたら困るのはあんたらや と言い放っていた。 相手を攻撃するのは老人特有の症状だ。 それでなくても母は昔から人の悪口を多く言う人だった。 常に比較してケチをつけて それで自分の優位性を保ちたい人なのだ。 はーなーもー 1日置いて、冷静になって考えてみた。 2週間前のことを思い出してみようとした。 あれ、思い出せない・・・ 私は何をしていたっけ。 全く思い出せなくて頭の中が真っ白だ。 顔は青くなった。 ひょっとしてボケが始まっているのは私の方? ちょっと待ってよ・・・ 不安な気持ちを抱えながら生ゴミを勝手口外に捨てに行ったとき ゴミ箱の上にあるツールハンガーに 花切り鋏が引っかかっているのを発見! 2週間前祭壇に供える花を水切りした時に鋏が濡れた。 母の鋏が錆びたらあかんと思ってここに干したのか。 私が? いや、ぜんぜん覚えていないんですけれど。 若年生アルツハイマーか? 私はそもそも忘れっぽい性格だった。 いろいろやることがあってもすっぽかしたりした。 また忘れたんか まだやってなかったんか と よくダンに怒られていた・・・ そんなとき母も横から一緒になって私を叱っていた。 それぞれの性格がせめぎ合っていた日々。 もうすべてを忘れてしまいたい。

メガネが無くなった

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朝から母がウロウロしているので どうしたん? と聞くと メガネが・・・どこにやったんだろ と言う。 ボケがまわってきたんかな って。 それは大変だ。 朝起きた時にはあって、どこかで外して 置き忘れているらしい。 彼女のちょい置きしそうなところを探したが 見つからなかった。 今回は 泥棒に取られた って言わないだけマシ。 昨年は物置小屋に置いてあったチェーンソーが盗まれた、 この秋には柿が盗まれた と騒いでいた。 いっぱい生っていたのに と。 いやいや、今年の柿は猛暑で生っていませんでしたよ。 母は87歳。 3年前に階段から落ちて入院してから足腰が弱くなり 一気に老け込んだ。 その時に要介護支援1になった。 それまでは元気でひとりで旅行にも行っていたが 今は前屈みの姿勢て杖をつきながらヨタヨタと歩く真老人だ。 私もいつかこんな姿になるんだな。 そう思うと黒い泥が身体にまとわりつき気分は沼に沈んでしまう。 自分は歳をとっても絶対にああはならんぞ と言っていたダン。 それを証明して欲しかった。 歳を取らないまま格好のいいまま逝っちゃったね。 母が夕ご飯を食べている時に メガネは出てきたん? と聞いたが どこにも無いねん。 さほど気にする様子もなくテレビに夢中だった。 「篤姫」の再放送を食い入るように見ている。 ごめん。 邪魔しましたね・・・