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私を好きだって

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 ずっと会っていなかった人から 大好きだって言われた。 1回しか会ったことのない女の人。 ほとんど私のことしらないくせに、 ダンがこの世からいなくなって 私のことを好きだと 言ってくれるひとは もういないと思っていた。 涙があふれてとまらない。 うれしいはずなのに 悲しくなるのは やっぱりダンがいないからだ。

忘れてしまいたい

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ダンが帰ってこないこと。 ダンがいなくなったこと。 ダンが死んでしまったこと。 全部無かったことにして ダンがいた生活をとりもどしたい。

もうだめだ

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 ダンがいなくなって ダンと一緒に行っていたところに行けなくなった。 ダンを知っている人に会うのが辛かった。 思い出を語るにはまだ早すぎる。 ダンに会いたくて 恋しくて仕方がないのに 面影を思い浮かべると ああ、もういないんだな と認識が新たになって 悲しみがこみあげてくる。 ダンと一緒に行っていた犬の散歩道 スーパーやモール、専門店。 喫茶店、飲食店 整体院とマッサージ、内科院・・・ そして美容院まで同じ店。 こんなことってよくあるのだろうか。 時間をすり合わせていつも一緒に出かけていた。 店の人たちと和やかな会話。楽しいひととき。 帰りにはドライブしたり ご飯を食べたり・・・ そんな日々はもう帰ってこない。 ダンと一緒に行っていた馴染みの店には もう行っていない。 辛くて行けなくなってしまった。 先週から歯が痛い。 そうなのだ。 通っていた歯医者も同じ。 歯科医はダンのことをよく知っている。 助手のみんなも・・・ 行けばダンの話が出るだろう。 いたたまれない。 きっと大泣きしてしまう。 行きたくない。 歯痛はずっとがまんしていた。 そのうち食べるのも辛くなってきた。 食べなくてもいいやとも思ったけれど 眠れなくてもいいやと思ったけれど もうだめだ。 痛さに負けてしまった。 昨日、ついに歯科に行った。 かかりつけの医師は暖かく迎えてくれて 私を気づかって 何度もやさしい言葉をくれた。 ありがたいけれど 泣けて泣けてしかたがなかった。

もうひと頑張り!

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「きみといっしょに 〜死別旦那が突然死にました〜」 のブロガーである  せせらぎ  さんが 死別者による死別者のためのサイトを作ろうとされています。 (ごめんなさい。無断で掲載しています) この企画を実現するにはかなりな資金が必要らしい。 初日で第一ゴールを達成し、第二をクリア。 今は第三ゴールを目指している・・・ スタートしても、運営を続けるのが大変ではと思う。 資金はある方がいい。 もうひと頑張りだ! これは私たち死別者が作るサイトだ。 大切な人を失って ひとりぽっちになったと嘆いている ひとりで何もかも抱えて途方に暮れている ただただ悲しくて気持ちが落ち込む そんな私たちの居場所。 みなそれぞれ境遇はちがうけれど 大切な人を失ったという共通点がある。 みな同じ痛みを抱えているのだと思うと なんだろう ほっとするような 身構えることがないような こころがほぐれるような そんな場所になる気がする。 ダンを失って半年以上が過ぎた。 はじめはそっと寄り添っていたひとも 時間がたつにつれ いつまでそうやっているの  心配しているんだよ 元気を出して もとのあなたにもどってよ と。 元の私にはもうもどれない。 元気にもなれない。 あなたたちの顔色をうかがいながら 自分に嘘をついて生きてはいけない。 求めているものがちがうのだ。 ここには何かがある気がする・・・ 詳しくはここをクリック →   CAMPFIRE

宗教では救われないと感じた日

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ダンがいなくなって7ヶ月が過ぎた。 葬式から四十九日、 その後はいろいろな手続きに追われ 今は家業や事業、私自身の仕事に追われ せきたてられるように日々を過ごしてきた。 自分自身が気付かぬままに 半年以上が経過していた。 なんということだろう。 月日の経つのは残酷だ。 月命日の日。 先月まではしずかな面持ちで 丁寧にお経をあげていてくださっていた住職だったが この日は違った。 口早で力強い読経が終わった後のお説法が、 説法というより、私的な雑談だった。 それも、まったくもって個人的な話・・・ 娘が結婚することになって と。 2人で住むところがようやく決まった と。 独立させるより同居がよかったかなとか 嫁と姑じゃないから気楽だとか 経済的に不安だから助けてやりたいだの 甘やかしてはだめだろうか だの ああ、くだらない話を延々と嬉々として話す。 こちらには結婚もぜずに 家によりつかない息子がいる。 そのことを知っての上、未亡人に向かってする話ですか? 前々から感じていたが 本当に薄っぺらで無神経な人間だ。 学も徳もない。 こんな人間が宗教家で、我々の生き死にを牛耳っていくのだ。 仏法に帰依せよと・・・ 今まで調子を合わせてきたが 血の気が引く思いだった。 これで完全にお寺から心は離れてしまった。 やっぱり神も仏もいないのだ。

忙しくて悲しい

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やることが山積みでブログが書けなかった。 家業も、事業も、対外的なことも すべてダンが采配をしてくれていた。 私はダンの漕ぐ船にちょんと座って 流れに身を任せていた。 水面を見たり、遠くの景色を眺めたりして。 今はどうだ。 ひとりで何もかもやらねばならない。 わからないことだらけ。 次々と新しい問題が発生。 こんな時、ダンはどうしていただろう。 どうするんだろう・・・ 右往左往という言葉がぴったりくる今の私。 忙しすぎてダンのことを忘れそうになっている。 ダンと向き合えていないことが悲しい。 ダンはどこに行っているんだろう。 はやく帰ってきてほしい。

元気になれと圧を感じる

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昨日、ポストにプリントが一枚。 休会しているお寺の婦人部の連絡網です。 いまどき連絡網を配るのもどうかと思う。 ラインで一斉に送ればいいのに。 いちいち次の人に電話を回して 最後の人は会長に回ったと連絡するのって ひと昔前のまま。 しばらく休会すると言ったのに 前回はお茶菓子付きで会報が届いた。 そして今回は私の名前が入った連絡網。 どういうこと? はやく会に出てこいってこと? 冗談じゃありませんよ。 ダンを失って 神も仏もあるものか と思っている。 宗教の勉強会といって みんなで集まってわちゃわちゃする 座談会になんか行きたくない。 何を話せばいいのか。 笑って見せてほしいのか。 もう、ほうっておいてほしい。 みんな、心配しているよ 来たら元気が出るよ いつでも出てこられるように 連絡網には乗せておくからね 多分ね、そう返してくると思う。 だから無視。 こんな無神経な会、 もう無理。

クラウドファンディング

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死別 カテゴリに掲載されているブログには 大切な人を亡くした人たちの慟哭が綴られている。 ダンを失って この世にひとりぽっちになってしまった そんな悲しみに打ちひしがれていた日々。 周囲のみんなは はじめは腫れ物にさわるように扱い おかしいくらい優しくしてくれて その後は口々にはげましたり 明るい話題をふりまいたり 気を遣ってくれている。 でも、なんだか違うんだな。 ここに来て 同じような人たちの胸の内を読んで ぼろぼろ泣いた。 そうだよね、悲しいんだもの。 泣いていいんだ。 どうしようもないこの苦しみ、悲しみを わかりあえるのは 大切な人と死別した経験者だけ。 みんなのことを知ることで 自分の悲しみと向き合えた気がする。 こういう場があって、 ほんとうによかった。 今、またさらに一歩踏み込んだ 死別者のためのサイトが立ちあがろうとしている。 (ごめんなさい。無断で掲載しています) 「きみといっしょに 〜死別旦那が突然死にました〜」 のブロガーである  せせらぎ  さんが 死別者による死別者のためのサイトを作ろうとされています。 それにはかなりな資金が必要ということで クラウドファンディングで支援者を募っておられます→ ココ こんなグリーフケアは他にはないと思う。 いいサイトになると思う。 いいサイトにしてほしい! 私も助けてもらったから 今、悲しみの嵐の中で溺れかけている人へ 浮き輪を投げたくなりました。 木切れ1枚程度だったかもしれないけれど 一口、投資させていただきました。 私自身、まだまだ 悲しみの沼から這い出ることができないくせに 何か、せずにはいられない。 もっと多くの人の悲しみを共有してみたい。 死別の悲しみは死別者にしか分からないから。 多くを知ることで この悲しみの乗り越え方が見つかるかもしれない。 そんな気持ちが動いたのだと思う。 みなさんはどうですか?

またループが始まったか

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夜中の3時半に目が覚めた。 気にしていないようにみせかけて 私の中に 何か心配事があるのだろう。 漠然とした不安・・・ 考えてもどうしようもない。 ダンがいない ダンに会えない このさみしさは 誰にもどうしようもできない。 このぽっかりと空いた穴を 何かで埋めていかねばならないのか。 元気を出して 心配をかけているのはわかる みんな私を気にかけてくれている 中には、 自分が安心したいだけの人もいるけれど そんなことはどうだっていい わかっている 私がしっかりと 残りの人生を生きていかねばならないこと。 あかるく 元気に わかっている わかっているのだ。 でもね みんなの期待が 重いときもある。 この堂々巡りから いつまでも抜け出せない

声を探す

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朝4時半・・・ 夢を見ていた。 バッと飛び起きて、 それから眠れない。 布団の中で寝返り イライラして起き上がって でもまだ早すぎるから 布団に戻って うつうつとしていると 遠くの方で鳥の声がした。 高く澄んだ声 外はしらじらと明け始めた ひそかな でも、高らかな澄んだ声 イソヒヨドリだ。 春だから 恋の相手を探しているのだろう。 おはよう あたりまえのように 返事をしていた おはよう ひとりつぶやく。 ダンはもういない。

さみしい病

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少し前に、 さみしい と書きました。 3月末は別れの時、 そして4月は新しい年度が始まって みな慌ただしく動き出していました。 そんな中、高熱が出て ひどい風邪をひいて寝込んでしまったのです。 どこにも行かず、 老母にうつるかもしれないと ほぼ、部屋にひきこもって 寝たり起きたり。 今まで風邪をひいても いや、風邪気味かな?という程度で 早めに寝たら翌日には何事もなく 寝込むようなことがなかった。 部屋の中でひとり ベッドに横になっていると それはそれはよからぬことばかりが 浮かんでくる。 このまま寝たきりになるんじゃないか ひとりぼっちで、 もう目が覚めないんじゃないか。 たかが、風邪なのに、 情けないこと。 ダンがいた頃は 早く治さなきゃ、と思っていたと思う。 滅多に体調を崩さなかったのは 家事もあるし家業もあるし ダンの面倒を見なければいけないから 寝てなんかいられない と緊張していた。 体力があったな と思う。 朝、ダンの顔色を見て ご飯の用意をして 掃除をして 洗濯物を整えて 身の回りの世話や世間話 一緒に仕事をしたり 出かけたり 1日が終わっておやすみを言うまで 日常のルーティンが事細かにあった。 それらがなくなって 時間だけが有り余っている 何も疲れることがないはず。 むしろ休養ばかりになってしまったのに 風邪をひいてしまったのは こころのつっかえ棒がなくなったからだろう。 ダンがいなくなって5ヶ月が経った。 世間の人はもうダンのことを忘れている いやなことは忘れてしまいたいのだ。 私は忘れられない。 犬と散歩に行っても 誰にも会わないようにしているし 義姉から電話があったぐらい。 妹とラインで 要りようなものの購入を頼んだだけ。 誰とも喋っていない。 ひとりぼっち が際立っていた。 そんなとき、病気になった。 部屋でひとり。 世界から取り残された孤独感。 さみしいと病気になる。 病気がさみしさを増幅させる。 どんどん分裂して広がって こころを貪り蝕んでいく。 このウィルスは根絶できない。

袂(たもと)を分つ

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人との関係を断つ、別れる ことを意味する慣用句。 語源は結婚して親と別れることを意味する言葉だったが 一般的な「別れ」「劇的な別れ」を意味するようになった。 袂(たもと)を付け合うように親しくしていた者同士が 別々になる という様子から。 何事も長続きしなかった私が 唯一、毎日続けていたブログは ダンがいなくなったことで 書けなくなった。 ダンのことを思い出してしまう もう書き続けられないと思った。 この世の終わり を感じた。 でも、しばらくたって どんなに疲弊していても 悲しみのどん底にいても いや、むしろ 悲しみがどんどん溜まってくると マグマのようにふつふつと沸き立つ おさえきれない この気持ちを どこかに書いておきたくなった。 習慣というものは恐ろしいものだ。 牛が反芻うをするように 私は頭の中から考えを取り出して 文字にして並べなければ気が済まない。 こうして このブログで 心のうちを吐いている。 こうしなければ どうにかなってしまいそうだから。 いつも泣きながら 書いている。 初めの頃は 前のブログを引きずっていたように思う。 どこか強がっていて いつか誰かに見つけられた時のために 頑張っているところを見せなきゃと カラ元気を出して 前向きなことを書いたりしていた。 それはそれで良かったと思う。 このブログは 離れて住む娘が読んでいる。 心配をかけまいと 母親が元気でいることを知らせるために 毎日書いていた。 でも、辛い心情もわかってもらいたくて 時に後ろ向きなことを つらつらと書いてきた。 読むのがしんどい内容もあったと思う。 あ、今日はだめだ  と読まなかったこともあると思う。 でもね、これが母の全てです。 歳はくってしまったけれど なんの人間的成長もない、 ただの弱っちい人間です。 しょうもない人間です。 はーなーもー 配偶者の死におろおろとして 自分をあわれんで いつまでも嘆いて 何もせずに自滅する人間。 この姿を目の当たりにして 自分はどうするか考えてね。 私を反面教師にして これからの人生を乗り越えてくれたらいいわ。 今日、過去の記事を整理しました。 中途半端な記事は捨てました。 悲しみに暮れる自分と袂を分つ 元気に暮らしていく。 表向きは ね。 これからは 辛い気持ちだけをここに吐いていく。 人間はA面だけでは生きていけない。 切り落とした...

光がさすと影が濃くなる

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春の眩しい光が 今まで気づかなかったものに 影をつける・・・ このところ気分が落ちてどうしようもない やらねばならぬことが多すぎて でも、やりたくなくて ちからが出なくて やる気が出なくて 誰も助けてくれなくて 私の人生を助けてくれていた ダンがもういなくて それはもうどうしようもないことは わかっているのだけれど どうしようもないことを どうにかしてしてほしくて まるで駄々をこねる子供のように 無理難題を言っている わかっているのだけれど かなしくて かなしくて やりきれなくて わーっと叫んで 崖から飛び降りたくなる 飛び降りたらダンに会えるのだろうか ダンに会いたい 私はダンが好きだった 大好きだった ダンに会いたい

さみしくてたまらない

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今日から4月。新年度。 新しい世界が動き始めた。 桜が咲いた。 木々に新芽が出始めた。 ラインに届くのは広告や企業のお知らせ通知ばかり。 仕事のやり取りだけ。 息子はもちろん、娘とも もう1週間以上やりとりはない。 みんな新しい生活で忙しい。 生きているってそういうこと。 死んだ人のことは 忘れて 生きていく・・・

悲しみの上書き

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納骨の2日後に 義姉が電話をくれた。 どうしているのか気になって と。 もっと早くに電話しようと思っていたのに 遅くなってごめんね と。 ダンも私も義姉が苦手だった。 ぺらぺらと言葉数が多く 中身のないおしゃべりが長い。 相談すると見せかけて 人の話は聞いていない。 容易にこちらの話に同調したり 今までの話を覆したり・・・ 何かどこにも芯がないような いいかげんに話をする人だった。 義姉の話を聞くのは疲れると ダンは言っていた。 私もそう思っていた。 でも、今は違う。 義姉は相変わらずぺらぺらと話す。 澱みのない言葉の羅列・・・ 気遣いと労りの言葉が 岩肌を流れる水のように私に注がれる。 なんなのだろう、この人。 どうしてそんなに 私に優しくしてくれるんだろう。 この人のお喋りを 私は初めて心地よいと感じた。 義姉とダンの話をした。 私はダンに対してできなかった事が多い。 たらればの話ばかり。 義姉は後悔に泣く私を慰め、 時に否定して 私を励まそうとしてくれる。 電話口でおいおいと泣いてしまった。 忘れかけていたダンへの思慕が 津波のようにふくれあがり できたばかりの堤防を突き崩した。 そうして結果的に また悲しみのどん底に落ちてしまった。 嫌な気持ちがしないのは ダンを失った悲しみに 私はまだ ひたっていたいからだろう。

死別の苦しみは果てがない

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ウクライナやイスラエルの紛争のように いつ終わるかわからない苦しみがここにある。 あと何ヶ月、1年、数年後と期限を切られれば 本人も立ち向かうことができるかもしれないが 彼の国の出来事も、いまは人ごとではないと感じる。 死別が辛いのは終わりが見えないこと。 もちろん何がしかの対策はあるとおもう。 グリーフケアを受けたり、 心療内科に通ったり ストレスを感じる人から遠ざかったり 生活環境や習慣を変えたり。 他にも色々とあるだろう。 やろうと思えばできるとおもう。 でも、そのやる気が おきないときはどうしたらいいんだろう。 ダンがいなくなってから 私の時間は止まったまま。 しかし周囲の時間はどんどん進んでいる。 世間の人はもうダンのことを忘れたようだ。 春になり、新しい事が動き始め みな、それに関心を注ぎ、行動を始めている。 忙しくて 人の悲しみなんかにはとりあっていられない。 私はガラス窓のこちらから それらをぼうっと眺めている。

納骨の日

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とても遅くなったが 昨日、納骨した。 墓仕舞いする家が多い中、 墓地をリフォームした。 傾いていたところを整地して きれいに整えた。 ダンは生前、墓参りのたびに 墓が傾いているのを とても気にしていたから。 ダンの骨が骨壷から取り出され 南無阿弥陀仏と書かれた布袋に移された。 それを新しい石室に収めた。 これから長い年月を経て 朽ちていくのだろう・・・ 儀式が終わっても 最後まで墓石の前にいた娘。 泣いていた。 ダンはもう仏様になっているから ここにはいない 浄土で心穏やかに過ごしている。 なのに悲しい。 生きている私たちは ダンのことを思うと泣けてくるのだ。 ダンがいなくて寂しい。 もっと一緒に過ごしたかった。 生きていて欲しかった。