袂(たもと)を分つ

人との関係を断つ、別れる ことを意味する慣用句。


語源は結婚して親と別れることを意味する言葉だったが

一般的な「別れ」「劇的な別れ」を意味するようになった。

袂(たもと)を付け合うように親しくしていた者同士が

別々になる という様子から。




何事も長続きしなかった私が

唯一、毎日続けていたブログは

ダンがいなくなったことで

書けなくなった。

ダンのことを思い出してしまう

もう書き続けられないと思った。

この世の終わり を感じた。


でも、しばらくたって

どんなに疲弊していても

悲しみのどん底にいても

いや、むしろ

悲しみがどんどん溜まってくると

マグマのようにふつふつと沸き立つ

おさえきれない

この気持ちを

どこかに書いておきたくなった。


習慣というものは恐ろしいものだ。

牛が反芻うをするように

私は頭の中から考えを取り出して

文字にして並べなければ気が済まない。



こうして

このブログで

心のうちを吐いている。

こうしなければ

どうにかなってしまいそうだから。

いつも泣きながら

書いている。



初めの頃は

前のブログを引きずっていたように思う。

どこか強がっていて

いつか誰かに見つけられた時のために

頑張っているところを見せなきゃと

カラ元気を出して

前向きなことを書いたりしていた。


それはそれで良かったと思う。

このブログは

離れて住む娘が読んでいる。


心配をかけまいと

母親が元気でいることを知らせるために

毎日書いていた。

でも、辛い心情もわかってもらいたくて

時に後ろ向きなことを

つらつらと書いてきた。


読むのがしんどい内容もあったと思う。

あ、今日はだめだ 

と読まなかったこともあると思う。



でもね、これが母の全てです。

歳はくってしまったけれど

なんの人間的成長もない、

ただの弱っちい人間です。

しょうもない人間です。



はーなーもー



配偶者の死におろおろとして

自分をあわれんで

いつまでも嘆いて

何もせずに自滅する人間。

この姿を目の当たりにして

自分はどうするか考えてね。

私を反面教師にして

これからの人生を乗り越えてくれたらいいわ。



今日、過去の記事を整理しました。

中途半端な記事は捨てました。

悲しみに暮れる自分と袂を分つ

元気に暮らしていく。


表向きは ね。



これからは

辛い気持ちだけをここに吐いていく。

人間はA面だけでは生きていけない。

切り落とした袂は

ここに置いておく。





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