宗教では救われないと感じた日

ダンがいなくなって7ヶ月が過ぎた。

葬式から四十九日、

その後はいろいろな手続きに追われ

今は家業や事業、私自身の仕事に追われ

せきたてられるように日々を過ごしてきた。

自分自身が気付かぬままに

半年以上が経過していた。

なんということだろう。

月日の経つのは残酷だ。



月命日の日。

先月まではしずかな面持ちで

丁寧にお経をあげていてくださっていた住職だったが

この日は違った。

口早で力強い読経が終わった後のお説法が、

説法というより、私的な雑談だった。

それも、まったくもって個人的な話・・・


娘が結婚することになって と。

2人で住むところがようやく決まった と。

独立させるより同居がよかったかなとか

嫁と姑じゃないから気楽だとか

経済的に不安だから助けてやりたいだの

甘やかしてはだめだろうか だの

ああ、くだらない話を延々と嬉々として話す。

こちらには結婚もぜずに

家によりつかない息子がいる。

そのことを知っての上、未亡人に向かってする話ですか?


前々から感じていたが

本当に薄っぺらで無神経な人間だ。

学も徳もない。

こんな人間が宗教家で、我々の生き死にを牛耳っていくのだ。

仏法に帰依せよと・・・


今まで調子を合わせてきたが

血の気が引く思いだった。

これで完全にお寺から心は離れてしまった。


やっぱり神も仏もいないのだ。








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