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未亡人は指輪を外すのか

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ダンの手帳を探していて見つけた。 ダンの結婚指輪。 結婚後、数年でダンが太ってしまって 外されたままになっていた。 農作業の邪魔になるしね と。 そういう私も 数年前の大腸がん内視鏡検査のときに 消防署で切ってもらっていた。 検査の麻酔で容体が悪化した時に 外せないとこまるから。 だから2人ともに指輪はしていなかった。 べつに指輪がなくても夫婦だった。 本棚からでてきたダンの指輪をはめてみた。 ちょっとゆるいが抜けることはない。 私の指も太っていた。 そして、ゴツゴツでシワシワで老婆のようだ。 農作業によるへバーデン結節の症状がでてきている。 手入れをしていない年齢相応の手だ。 情けなくてまた泣いた。 夫を亡くした妻は 指輪を外すものなのだろうか。 そっと箱に戻した。 なくさないように目立つ場所にしまった。 私は普段はアクセサリーをつけない。 でもこれからはときどき ダンの指輪をはめてみよう。 勇気のいる場に行く時に ダンに一緒についてきてもらいたい。

今後の作業の打ち合わせ 除草剤を撒いた

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今の段階では農業を継承できるかどうかは不透明だが 稲を作るとなると資材の申し込み期限がある。 ダメ元でタロウと今後の計画を立てた。 冬の間にトラクターで3回耕す。 代かき、田植え、農薬散布、肥料散布に加え 毎週の水の管理、3週間ごとの畔草刈り。 今年の手順をざっくりと伝えて、 来年のカレンダーに落とし込んだ。 もちろん、他にも作業がたくさんあるが それはその都度対処ということで。 稲作は想像以上に手間がかかることに タロウは唸っていた。 できるのか? ダンはてきぱきとこなしていた。 もう不安しかない。 でも、やってみよう やるしかない。 打ち合わせのあと、時間が余ったので 管理物件のようすを見に行った。 砂利の隙間に生えている細かな雑草には 除草剤を散布。 春先まで生えてこないと思う。 年が明けたら生垣を伐採、抜根して フェンスにしたい。 費用はどのくらいかかるだろう。 不安だらけだ。 またしばらく眠れない。 腰、大事にしてな と言って タロウは赴任先に帰っていった。

まだ2ヶ月なのに 

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帰郷した息子のタロウを連れて親戚宅に行った。 相続手続きのアドバイスをもらうため。 おおよその手順はわかったものの こちらとは事情も条件も違うから 参考程度にとどまった。 やはり私たちで考えなければならない。 農業をどうするかがネックだ。 タロウは稲作の経験がない。 田植えをしたあとは 畦(田んぼの周囲)の草刈りをするぐらいで 稲刈りまで何もしなくていいと考えていた。 話を聞く上で、稲作についての問題が いろいろ浮上してきて困った。 親戚は サポートをするよ と言ってくれたが そう甘えてもいられない。 心配していたダンの話題は少ししか出なかった。 なんだかそっけなく感じた。 ダンのことはもう過去のことになっていた。 もう、皆は前を向いている。 まだ2ヶ月と少ししか経っていないのに。 帰宅して、畑を借りてくれている人に 今年の賃料の領収書を持って挨拶に行った。 いつもは長話になるのに、 寒くなったね 気をつけてね と。 さっぱりしたものだった。 もうダンのことは忘れはじめているのか。 ダンがいなくなって2ヶ月がすぎた。 空が落ちてきたようだったのに それは私だけ。 世界はなにもかわらずに続いている。 遠くの国の紛争のように その時は気の毒だな、大変だなと感じても テレビのスイッチを切って 家族で団欒・・・ いや、今までの私も同じだった。 大切な人を亡くして悲しみのどん底にいるひとは 世界中にたくさんいるのに その人たちのこころを考えてもみなかった。 こんなに悲しくて苦しくて辛いことだったのに まったく深く考えていなかった。 寄り添いもしなかった。 冷たくて情けのない私だった。 これは天罰だ。 私がしてきたように 世間のひとは私の悲しみなど理解しないし わかるわけがない。 そのくせ どこかで慰めてもらいたがっている自分がいる。 このままではダメなことはわかっている。 私がしっかりしなければいけない。 でも・・・どうすることもできずに 沼に沈んでしまう。

絶不調

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ぎっくり腰が治らない。 すぐには良くならないものだろうが 気分が落ちている時は気になってしまう。 母はいつも 腰が痛い と言っている。 お前も歳を取ったらわかる と。 耳が聞こえにくいのも 歩くのが困難になったことも 食べられるものが限られてきたことも 歳はとりたくない 不便だらけだ 歳を取ったら情けない と日に何度もこぼす。 母の身体の調子が悪いことには同情する。 大変だなとは思う。 私も87歳になったらこうなるのか。 自分のことばかり話して 文句ばかり言って 我を押し通す こんな老人になりたくない 私が一番恐れていること。 母と血が繋がっているから 私も同じような老人になるのではないか。 そんな恐怖が湧き起こるのだ。 ぎっくり腰になって きもちが一気に年老いてしまった。

ギックリやってしまった やる気が出ない

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残った仕事を早めに切り上げようと 店舗の開店時刻に合わせて出かけたが 車から降りたとたん、腰に電撃が走った。 ガラスにピキーンとひびが入った感じ。 これはぎっくり腰だ。 今週は車を運転する時間が長く 同じ姿勢が続いていたせいだと思う。 ぎっくり腰になったのは久しぶりだ。 痛い。痛くて歩けない。 隣のドラッグストアに飛び込んで カイロを購入、トイレで腰に貼り付けた。 本当は湿布薬がよかったが、 いつも貼っているものが棚になかった。 アレルギーが出たら困るので断念。 温まると痛みがマシになった。 ロボットみたいな不自然な歩き方。 いきなり100歳の老人になった気分だ。 しばらく歩き方を練習してから店舗に入り、 なんとか調査を終えた。 その後、3店舗回ったところで 2店舗目の入店許可証の返却を忘れていたことに気づく。 やってしまった。 痛みで注意が散漫になっているんだろう。 借りる時に記名しているから責任を問われる。 あわててその店舗にカードを返却に行った。 これでかなりの時間をロスしてしまった。 はーなーもー ジムに行って鍛えている。 筋力がついてきていると思っていたのに ぎっくり腰になった。 ジム通いは意味がないのか。 やはり痛みで歩けない。 あきらめて途中で自宅に戻り、 以前の治療で使ったコルセットを装着した。 やはり腰を固定すると安心だ。 気持ちを振り絞って 一昨日のミスの回収に行った。 責任者が不在で、再訪することに。 2店舗とも、午後から出勤だそうだ。 重役出勤だ。 その分、夜遅くまで働くのだろうか。 結局、二往復する羽目になって 残りの仕事も押してしまって 早く終わるつもりが夕方までかかってしまった。 疲れた。 この仕事、続ける気力が失せてしまった。 晩ご飯は簡単に、牛丼にした。 安い細切れ肉は硬かった。 案の定、母がむせて半分残して退席。 これはあとで食べます と。 食べられないんだから処分してもいいのに。 作ってもらっているのに悪いわ と。 気持ちはわかるが 何かこころにひっかかってしまう。 喉が詰まるのなら 残りは無理に食べないでいい。 今度は高級なすき焼肉を使います。 いや、もう牛丼はやめよう。 疲れた。 犬の散歩をさぼって 寝てしまった。ごめんよ。 今朝もやはり4時前に目が覚めた。 ゆっくり散歩に行ってやろう。 今日は親戚の家に行く。 これからの相...

時間軸がずれてきた

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このところ夕食後に眠くなって そのまま寝てしまう日が続いている。 そして夜中の1時や2時に目が醒める。 そこから眠れない。 トータル5時間は寝ているのだから 睡眠がとれていなくはない。 だから別にいいんだけれど。 引きこもりの生活だ。 風呂にも入らず 毎日同じ服。 頭はボサボサ。 朝晩、犬の散歩にトボトボと行って 買い物に行って 母の夕食をつくり 力尽きて寝る。 そして真夜中に目が醒める。 誰も起きていない時間に パソコンを開いてブログを書いている。 誰も見ていない時間に。 なんとかしなければ。 こんな生活が良くないのはわかっている。 でも例の仕事で気分が下降線だ。 昨日、ミスをした。 その回収に行かねばならなくて気が重い。

壁面パンジー 娘も辛かった

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相続手続きに必要なサインをもらうため 遠方の娘の家に行きました。 電車に乗って乗り換えて 都会の雑踏を歩く元気がなかったため 高速道路を使いました。 それはそれで怖かったけれど、 車内にはひとり。気楽です。 コンクリートの無機質な風景と カラッと晴れた冬空がよかった。 降り口を間違うことなく到着しました。 近くの公共施設の看板?にパンジーが。 ここだけ春のよう。 孫は相変わらず元気いっぱい。 ワンオペで大変だ と言っていましたが 昔は男の人はオムツどころかあやしたりもしなかったよ。 せいぜい家族をどこかに連れて行ってくれるくらい。 休みの日に赤ん坊を一日面倒見るなんてゼロでしたよ。 最近の若い男のひとは大変だと思う。 料理も洗濯もできないと肩身が狭そう。 もちろん、仕事もして稼ぎが多くないといけないし。 孫がダンの写真を見て、 じいじ って言うんだよ と。 たまにしか会わないのに、孫はダンに懐いていた。 ダンの四十九日の法要の前日に ダンが娘の夢に出てきたそうだ。 孫が成人するまで生きていて欲しかった というと ダンは ごめん と。 ほかにも娘はいろいろと言ったらしいがそれに対して ごめん としか言わなかったと。 娘は泣いていた。 私も泣いた。 通夜も葬式もシャキッとしていて 私を支えてくれていた娘は ずいぶんと気丈だなと思っていた。 すでに独立していたからドライなのかも とも。 でも違った。 娘もずっと悲しんでいた。 悲しいのは私だけではなかった。 ランチは近くのインド料理店からテイクアウトした。 このボリュームで1000円からお釣りが来る。 しかもとても美味しくてちょくちょく食べていた。 娘は来春、あちらの両親と同居生活を始める。 もうこんなふうに気軽に 娘のアパートに押しかけることもできない。 寂しい。 楽しい日々はいつまでも続くと思っていたのに 世の中に永遠と不変はないのだ。