悲しみの期限

昨日、地元のお寺の集まりがあった。

総本山もそうだが、なにかと派手な宗教で

煌びやかな本堂で演奏者を招いてのコンサート。

私は欠席。

そもそも会はやめてしまっていた。

買い物や仕事には行けるようになったが

ダンのことを知っている人が

大勢集まる場所は無理。

田舎のコミュニティはうわさ好きなひとばかり。

みんな私の動向を見ている。


やることがいっぱいある。

家で確定申告のデータ入力をしていた。





夕方になって会に参加していた人が

おさがり を持参された。

古参の母はともかく私にも。


私はお寺の婦人部をやめたつもりだったが

1年間の休会 になっているらしい。

1年間・・・

1年後に私が会に復帰するということ?

1年後には会に出て来いって?


そんな勝手な。


たった一年で

もとどおりになれるわけがない。

ダンがいなくなって

何もかもが変わってしまった。

人生の花々を飾っていた花瓶は割れ

こぼれた水は

落ちた地面に吸われて消えた。



世間の人の見かたはこんなものだ。

自分たちの思惑で

私を無理に引きずりだそうとする。

心配している と言いながら

その人たちは私の今の様子を見たいのだ。

萎れているか

意外と元気か

あわよくば私の心情を聞き出したいのだ。


今は辛くて誰とも会いたくないし

話したくもない。

考えただけで胸が張り裂けそうだ。



もうそろそろ とか

いいかげんに とか


あなたたちの思うようにしないでほしい。

ひとの悲しみに

勝手に期限をつけないでほしい。



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