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5月, 2025の投稿を表示しています

4の匂いを感じた

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昨日は農家組合の共同作業の日だった。 会いたくない人たちと顔を合わせる。 それも、大勢の人と。 みんなダンのことをよく知っていて こちらをしげしげと見てくる。 私とは親しくないから 声をかけてくる人はいないけれど。 この重圧。 農家組合員はほとんどが男の人だが わずかに女性の参加者がいた。 体調が悪いご主人の代打だった。 闘病が長くもう何年も前からだという。 もう一人は最近のこと。 ご主人が鬱病になったようだと言っていた。 ご自分も体調が悪く病院に通っていると。 ひとり男性でグループに入っていた人は 病み上がりで力仕事ができないからと言う。 癌と戦っている人だった。 4回目の手術をしてほっとしていたら今度は骨折。 右腕のギブスが痛々しかった。 ひとりは随分と前にご主人を亡くされていた。 若くして伴侶を失って、それからずっと参加していると。 知らなかった。 いや、知っていたのによく見ていなかった。 自分がこんな身の上になるまでは 他者の悲しみや辛さに気づかなかった。 みんなそれぞれの辛い話をさっぱりと語る。 しかしどこかさみしげだ。 明るくみせようとする素振りの背後に じわじわとしのび寄る4を感じた。 ひとしきり身の上を話したあと 草むしりに専念した。 年に2回、農業地の草を刈る共同作業。 ダンは毎年この作業に参加していた。 毎年、草は生えてくるのに ダンはもどってこない。

もうだめだ

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 ダンがいなくなって ダンと一緒に行っていたところに行けなくなった。 ダンを知っている人に会うのが辛かった。 思い出を語るにはまだ早すぎる。 ダンに会いたくて 恋しくて仕方がないのに 面影を思い浮かべると ああ、もういないんだな と認識が新たになって 悲しみがこみあげてくる。 ダンと一緒に行っていた犬の散歩道 スーパーやモール、専門店。 喫茶店、飲食店 整体院とマッサージ、内科院・・・ そして美容院まで同じ店。 こんなことってよくあるのだろうか。 時間をすり合わせていつも一緒に出かけていた。 店の人たちと和やかな会話。楽しいひととき。 帰りにはドライブしたり ご飯を食べたり・・・ そんな日々はもう帰ってこない。 ダンと一緒に行っていた馴染みの店には もう行っていない。 辛くて行けなくなってしまった。 先週から歯が痛い。 そうなのだ。 通っていた歯医者も同じ。 歯科医はダンのことをよく知っている。 助手のみんなも・・・ 行けばダンの話が出るだろう。 いたたまれない。 きっと大泣きしてしまう。 行きたくない。 歯痛はずっとがまんしていた。 そのうち食べるのも辛くなってきた。 食べなくてもいいやとも思ったけれど 眠れなくてもいいやと思ったけれど もうだめだ。 痛さに負けてしまった。 昨日、ついに歯科に行った。 かかりつけの医師は暖かく迎えてくれて 私を気づかって 何度もやさしい言葉をくれた。 ありがたいけれど 泣けて泣けてしかたがなかった。

もうひと頑張り!

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「きみといっしょに 〜死別旦那が突然死にました〜」 のブロガーである  せせらぎ  さんが 死別者による死別者のためのサイトを作ろうとされています。 (ごめんなさい。無断で掲載しています) この企画を実現するにはかなりな資金が必要らしい。 初日で第一ゴールを達成し、第二をクリア。 今は第三ゴールを目指している・・・ スタートしても、運営を続けるのが大変ではと思う。 資金はある方がいい。 もうひと頑張りだ! これは私たち死別者が作るサイトだ。 大切な人を失って ひとりぽっちになったと嘆いている ひとりで何もかも抱えて途方に暮れている ただただ悲しくて気持ちが落ち込む そんな私たちの居場所。 みなそれぞれ境遇はちがうけれど 大切な人を失ったという共通点がある。 みな同じ痛みを抱えているのだと思うと なんだろう ほっとするような 身構えることがないような こころがほぐれるような そんな場所になる気がする。 ダンを失って半年以上が過ぎた。 はじめはそっと寄り添っていたひとも 時間がたつにつれ いつまでそうやっているの  心配しているんだよ 元気を出して もとのあなたにもどってよ と。 元の私にはもうもどれない。 元気にもなれない。 あなたたちの顔色をうかがいながら 自分に嘘をついて生きてはいけない。 求めているものがちがうのだ。 ここには何かがある気がする・・・ 詳しくはここをクリック →   CAMPFIRE

宗教では救われないと感じた日

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ダンがいなくなって7ヶ月が過ぎた。 葬式から四十九日、 その後はいろいろな手続きに追われ 今は家業や事業、私自身の仕事に追われ せきたてられるように日々を過ごしてきた。 自分自身が気付かぬままに 半年以上が経過していた。 なんということだろう。 月日の経つのは残酷だ。 月命日の日。 先月まではしずかな面持ちで 丁寧にお経をあげていてくださっていた住職だったが この日は違った。 口早で力強い読経が終わった後のお説法が、 説法というより、私的な雑談だった。 それも、まったくもって個人的な話・・・ 娘が結婚することになって と。 2人で住むところがようやく決まった と。 独立させるより同居がよかったかなとか 嫁と姑じゃないから気楽だとか 経済的に不安だから助けてやりたいだの 甘やかしてはだめだろうか だの ああ、くだらない話を延々と嬉々として話す。 こちらには結婚もぜずに 家によりつかない息子がいる。 そのことを知っての上、未亡人に向かってする話ですか? 前々から感じていたが 本当に薄っぺらで無神経な人間だ。 学も徳もない。 こんな人間が宗教家で、我々の生き死にを牛耳っていくのだ。 仏法に帰依せよと・・・ 今まで調子を合わせてきたが 血の気が引く思いだった。 これで完全にお寺から心は離れてしまった。 やっぱり神も仏もいないのだ。

忙しくて悲しい

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やることが山積みでブログが書けなかった。 家業も、事業も、対外的なことも すべてダンが采配をしてくれていた。 私はダンの漕ぐ船にちょんと座って 流れに身を任せていた。 水面を見たり、遠くの景色を眺めたりして。 今はどうだ。 ひとりで何もかもやらねばならない。 わからないことだらけ。 次々と新しい問題が発生。 こんな時、ダンはどうしていただろう。 どうするんだろう・・・ 右往左往という言葉がぴったりくる今の私。 忙しすぎてダンのことを忘れそうになっている。 ダンと向き合えていないことが悲しい。 ダンはどこに行っているんだろう。 はやく帰ってきてほしい。