考えないようにしていても不安がつきまとう
葬儀以降、ほぼ引きこもり状態。 朝晩の犬の散歩以外、誰とも会わない生活を続けている。 会いたくない。 会ってダンのことを話しかけられて 元気を出して と言われるのが辛い。 元気なんてどうやって出すの。 心の押し入れは空っぽだ。 四十九日法要の日から泊まっている娘と孫が帰ったら 老母と2人っきりの生活にもどる。 それが憂鬱の種なのだ。 母は耳が遠くて会話にならない。 補聴器は耳が痛くなるから入れたくないという。 確か70万ほどしたはず。もったいないことだが 高額の補聴器も思うような効果がないらしい。 話す時は面と向かって大声を出さなければならない。 大声を出すと 偉そうに叱られているみたいで嫌だ という。 最近は往復書簡を使っている。 必要なことはノートに書く。 聞こえなかった 聞いていない のトラブルを回避できているが 本当は 本人は話しかけて欲しい。おしゃべりがしたいのだ。 わかっていてもしんどくてできない。 すでに足が弱っていたが ここ数ヶ月で一気にヨボヨボになった。 杖をついて歩く姿に将来の自分が重なる。 現在、母の買い物や病院の送迎は私がしているが 将来、87歳になった私には誰の助けもない。 車の運転ができなくなったら バスを使って病院に行かねばならない。 すでに本数が極端に減っていて、目的地に行くより 待ち時間の方が長い時がある。 自転車に乗れなくなったら徒歩で。 歩けなくなったら それこそ家の中にずっと引きこもり・・・ だれとも話さず 食べるものも無くなり 何ヶ月か経ってから ひからびた姿で発見されるのだ。 今朝も4時に目が覚めて そんなことばかり考えていた。 ↓ こころのささえにしています